経営者の歴史・精神
幼少期〜中学生時代
私は、1979年和歌山県和歌山市に生まれました。家具屋の長男として祖母から非常に可愛がられ、父・母・姉・祖母の5人暮らしでした。幼い頃は、店舗の最上階に住んでいることもあり、父や母が働いている姿を見ながらお店の中でよく遊んでいました。この時に親が接客する姿、お客さまに喜んでもらうことの楽しさを感じていたと思います。
小学生の文集で友達から「馬木君は普通の子」と書かれたことを覚えており、学力も運動能力も真ん中ぐらいの普通の子だったと自分でも思います。母の強い要望で田舎では珍しく中学受験をすることになり、勉強合宿で新潟に行くほどの非常に厳しい塾に通っていました。勉強はあまり好きではなかったですが、友達が増えることと、みんなで学ぶことが楽しかったです。自分が受かりたいという熱意がそもそもなかったため受験は失敗しましたが、成績はよくなり学力の高い友達にも恵まれ、勉強することが大好きになっていました。高校受験では市内で一番の公立高校に苦労することなく入学することができました。また、中学ではサッカー部の副キャプテンもやっていました。自分自身もリーダーに向いていなくてサブでサポートするのが好きでした。
高校〜大学〜専門学校時代
高校に入って間も無く、勉強だけではなくもっと遊んでいろいろ経験したいと思い、そのため学力は低下していきました。ですがたくさん友達と遊べたことは今でも財産になっていると思います。大学に行くことは当たり前で、なんとか神戸の大学に合格することができました。田舎から出て都会で一人暮らしをしたかったのが大きな理由です。遊ぶために大学に行っていたので、就職活動の際に大きな挫折を味わいました。企業をたくさん調べたわけではなかったですが、行きたい会社や業種がなく、まだ興味があったのが企画職で、何の準備もしないまま申し込み当然どこの会社からも採用されることはありませんでした。
一度きりの人生おもいっきり楽しむ
周りの友達はどんどん就職が決まり、自分は誰からも必要とされないことにどん底まで落ち込みました。ですが、大学卒業までの時間は進んでいきます。「自分は卒業後どうするのか?」人生で一番考えた時期でした。人生を終わらせることも考えたのですが、その気になればいつでも人生は終わらせれる。就職には大失敗したけど、その代わり自分のやりたいことを自分が思う通りにおもいっきり頑張ってみようと思いました。やれること全部やってみて無理なら人生を諦めれば良いと。「一度きりの人生をおもいっきり楽しみたい。自分の可能性を試したい。」と思えたのだと思います。当時自分には何も能力がないと考えており、好きなことで手に職をつけたいと、デザインの道を目指しました。また冷静にこれから必要とされるデザインはWeb業界だと知り、Webデザインの専門学校にアルバイトしながら行くことになりました。
週二日で1年間の専門学校だけではとても夢であるデザイナーにはなれないと思い、アルバイトの仲間繋がりでクラブイベントのフライヤーを300件以上作らせてもらい、卒業後もデザイン業界との繋がりがあれば就職につながると思い、専門学校でアルバイトを1年ほどしていました。狙い通り、デザイン会社からのアルバイト募集などが優先的に紹介され、見事面接に合格した理由は、300枚のクラブイベントのフライヤーを見て、「こいつは努力できるやつだ」と思ったからだそうでした。めでたく現在のスーパーグラフィックスにアルバイトで入ることになります。
アルバイト〜社員時代
専門学校での上司がこの会社に4月から入社することが決まっており、それまでのヘルプとして3ヶ月間の短期アルバイトでした。3ヶ月後にこれでアルバイトは終わりだなと思っていたところ、創業者から「お前はどうしたいの?」と聞かれました。「え?自分で選べるの?」突然の話だったので悩みましたが、当時年齢も26歳になっており、親も就職を希望していたのもあり、「正社員になりたいです」と伝えたところ無事入社することができました。今思えばはじめて選択理論に触れた経験だったと思います。大学の友達と比べると社会に出るのが遅れており、飲み会でも話が全く合わず、「このままでは友達でいられない」と早く追いつきたいという思いも強くありました。
仲間づくりは一生の財産
また、創業者との出会いが私の人間力を非常に飛躍させてくれました。業界では珍しいコミッション制度で、営業から制作、請求書の発行まで、個人事業主のように育ててもらい、経営について多くのことを学ぶことができました。また、デザイナーで入社したにも関わらず、毎週毎週異業種交流会に連れられてたくさんの社会人の方と交流をさせられました。何を話せば良いかわからず苦労しましたが、たくさんの人との出会いは社会を知ることでもあり、自己成長できる場。今ではその仲間づくりが私の財産になっています。
OJTばかりで、わからないことがあれば自分で調べる、外注さんに教えてもらうなど、自分で考え行動する力を非常に鍛えられたと思います。また、20代はまだデザイナーで良いが、30代になったら必ずディレクターができるようになれと教わりました。デザイナー一筋で生きれるのはほんの一握り。ディレクションができれば生きていくことができる。どうしてもデザイナーがしたければ、自分の仕事の中でデザインしたいものだけすれば良いと。将来のこともしっかりと考えてくれており、非常に愛情を注いでくれていたと思います。
創業者のおかげでお客様にも恵まれ、お客様が私を育てようとたくさんのことを教わりました。また、経営者の方と仕事をすることが多く、経営者に対する見方も大きく変わりました。ある有名な経営コンサルタントの方が独立し、ロゴや名刺、封筒、社章、会社パンフレット、ホームページなど、会社立ち上げに必要なあらゆるものを制作させてもらいました。デザインも好評で良い仕事ができたと感じていました。ですが、その会社は数年もしないうちに倒産しました。とても虚しい思いになりました。あんなに喜んでもらえたのに、でも会社がなくなってしまえば何の意味もない。何のために仕事をしたのだろうか?
それまで経営者は誰でもすごい人で、彼らが言うことは全て正しいと思っていました。ですが、この時に私の中で大きく考えが変わりました。経営者が誰でもうまく経営できるわけではない。私たちの仕事はお客様の会社があってこそ。仕事になってお金がもらえるからそれで良いのではなく、私たちは仕事を通じてお客様の会社を発展・成長させる必要があるということ。
もっと経営に強くなって同じ目線でアドバイスできるぐらいにならないといけない。お客様の会社が潰れるのをもう見たくないと強く思いました。
お客様を本気で思いやる気持ち
そこからさらにスイッチが入り、経営について何でも積極的に学びに行きました。一番大切なことは「お客様のことをどれだけ本気で思いやることができるか?」「仕事に限らずお客様の会社にどれだけ本気で貢献できるか?」だと思います。この気持ちがあれば自然と能力を高めていくことができるし、今できることの中でも、仕事の範囲にこだわらず、例えば自分がお客様の営業マンとしてお客さんを連れてくることもできると思います。またあまりにも経営能力が低い場合は、ホームページを作る前に経営についてもっと学ぶ必要があると経営団体などを紹介することも大事だと思います。会社には成熟度があり、ひとつひとつの会社のステージによって何を優先しなければいけないかは変わってきます。そのステージに合わせて私たちは最適な提案をするべきだと思います。これが私たちの価値であり、この価値をずっと高めつづけることが大切だと思っています。
取締役〜代表(現在)
入社から7年後の32歳で取締役になっていました。経営者は向いていないがサブで支える次元や五右衛門が自分は好きだし向いていると思っていました。それから4年後。創業者が海外ビジネスで海外に住むことに。同じタイミングで上司も地元の神戸で仕事がしたいと独立することが重なり、創業者から「代表やってみないか?」と話がありました。当初は自分は向いていないやまだまだ経営がわからない、それが怖さとなってお断りしていました。何度か話をする中で、創業者との信頼関係が非常に大きく「失敗しても私がなんとかするやん!」と背中を押してくれ、経営者にチャレンジすることになりました。
可能性に蓋をしない
現在経営者になって10年経ちました。経営者に向いていないと思っていたことはただの思い込みでしたし「可能性に蓋をしない」ことが大事。「自分が考えた通りの人間になる」ので本当に自分の考え方を変えることで可能性は広がるなと感じています。今では経営者をやって本当に良かったと心の底から思っています。理由は本気で人生を生きていると感じるからです。
運に任せた経営(人生)にしない
経営するということは良い時も悪い時もあり、どうすれば会社が良くなるのか?自分はどうしたいのか?など、会社や自分と向き合うことがたくさん出てきます。1番の学びは「運に任せた経営はダメ」です。何もしないことが一番のリスクです。口を開けて待っているだけではご飯は食べれません。しっかりと計画を立て、どう考え、何をして成功したのか?失敗したのか?トライ&エラーを繰り返すこと、学び実践し続けることが大切です。「立場が人を変える」と聞いたことがありますが、まさにその経験をさせてもらったと思っています。これは私自身が恵まれた環境で実践し気づくことができましたが、誰もがそんな環境ではありません。
運に任せた人生を生きている人が多い。自分の人生が一番大切なのに、一番大切なことを考えている人が少ない。社会や他責にする人。仕事をただの金儲けのために苦行の様に働く人。人生を楽しんでいる様に見えない人。メンタルがやられて鬱になってしまう人。自殺してしまう人。などなどそんな人を無くしていきたい、力になりたいと考えるようになりました。もちろん生きていくためにはお金が必要ですが、どうせなら楽しんで仕事をしてほしい。やりがいを感じて前向きに取り組んでほしい。自分自身、子供が生まれたことで、社会にかっこいい大人をもっと増やしたい。子供たちが明るい未来を想像できる様にしたいと思いました。
自分の未来は自分で描く
「自分の未来は自分で描く」そう考えた時に会社の役割は大きいと思いました。会社は自己実現の舞台であり、大人の学校であると考えています。「縁ある人を幸せにしたい。」それが私自身の使命です。「スーパーグラフィックスに出会えてよかった。」といってもらえるよう、これからも自己成長しつづけ、なくてはならい会社を目指し続けます。